幽霊の世界と永遠の果て

先月、肺気胸で呼吸が出来なくて、咳き込みながらバイト先に行けないという旨の電話をしたら、胸が苦しいので休むと言う僕に苦手な上司が『おっ!そうか!大変だなぁっ!』と半笑いで言ってきたのだが、それがなんかムカついて、全く許せなくて、退院した報告も医者からそろそろ働いてもいいと言われた報告もなんにもしていないし、

多忙な年末もこうしてソファーに寝転がって、サンドウィッチマンがお風呂に入る番組の番宣やら、ハライチ岩井がヌンチャクを振り回してる番組をぼっーとただ眺めている。

きっと、今も僕の代わりに他のみんなは多めに働いているんだろうな。

こういう時、マリオカートのゴーストみたく大晦日にバイトをしている平行世界の自分以外には見えない半透明な自分がバイト先でバイトしていると考えると自分は何もしてない時に何かをした気になれるので安心する。

お正月は誰も彼もテレビの中の人や、普段人が寄り付かない様な神社までもが、色々な事を忘れてキモいくらいにお祭りの様に浮かれて過ごしていて、自分が全く知らない世界に来てしまったかの様な錯覚に駆られる。

そのお祭りの世界は3、4日ほど存在したあと、分裂した世界がまた元の一つに戻るように、急激によく知った朴訥とした世界に帰ってくる。

8時にテレビをつければ、日テレではスッキリで加藤浩次がニュースについて一言話しているし、フジテレビではとくダネ!....は確かもう終わってしまったから、めざまし8で谷原章介がテレビに映る世界に戻ってくるのだ。

その時の寂しさというか、本来自分が存在するべきではない祭りの世界のようやく見つけた居場所が無くなったような喪失感が昔から苦手だった。

子供の頃から苦手だったのだから大人になるにつれて、自分の身体の一部になるみたいに慣れていくものだと思っていた。

思っていたのだが、全く慣れないどころかお正月そのものが喪失を連れてくるみたいに思えてしまって、大晦日まで含めて寂しくなるほど苦手になってしまった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。そんな感じ。

まあそんな事を言った所で年は明けるし、今年も終わってしまうし、喪失は指をポキポキと鳴らしてスタンバイしていて、永遠なんてどこにもないし、どう足掻いても何度も永遠の果てを通ってしまうのだからお正月を好きになるのは僕のゴーストに任せるとしよう。

さよなら今年。おやすみスッキリのある世界。